皆様こんにちは。今日は私が以前に勤めていた職場で出会った女性とのお話について紹介します。
「歓迎」
当時、私はある療養施設で働いていました。その施設へTさんという女性が入職することに
なったのでした。私は採用関係の仕事も少し担当していましたので、彼女の履歴書を確認し、
制服や名札の準備をしました。入職当日、私とTさんは初めて顔を合わせました。
彼女は私よりも少し年上でした。スタイルがよく人懐っこい性格をしていて、どこか知的な印象がありました。
私は事務部門に所属していて、Tさんは現場部門への配属となりました。別々の部署では
ありましたが、彼女の入職歓迎会に私も呼んでもらい、参加させてもらったのでした。
私とTさんは隣同士の席に座りました。お酒を飲みながら彼女の経歴を聞き、
好きなものや休日の過ごし方などについて話をしたのでした。
Tさんは私の経歴についても尋ねてくれました。私は大学時代、小説家にしかなりたくないと
思っていたため、就職活動をせずに卒業したのでした。そのことを話すと、彼女は「小説家ですか!」と
興味を持ってくれたようでした。
「一番、本当のことが知りたかったんです」私は当時の自分が考えていたことを説明しました。
彼女は熱心に聞いてくれて、たくさんの質問をしてくれました。酔いが回っていることもあり、
普段より饒舌になっていたのだと思います。Tさんを歓迎するための会の筈なのですが、私の方が
多く喋ってしまっていたような気がします。
その日以降、職場で私が誰かと会話をしている時に、Tさんがよく加わってくれるようになりました。
「面白そうな話をしていますね」「その話、わたしも聞きたいです」私は素直に嬉しいと感じていました。
しかし、彼女に好意を持ってはいけないということも分かっています。Tさんは既婚者だったからです。
「助言」
私には長い間恋人がいませんでした。そのことを知っている友人や職場の上司から、
「いつかいい人が見つかるよ」
「君の魅力を分かってくれる人が現れるよ」
「人生何が起こるか分からないよ」
というようなことをよく言われていました。「もっと人のいる場所に出掛けた方がいいんじゃない」
と言われることも多々ありました。
私はそう聞かされる度に、目の前で喋ってくれている人ではなく、もっと大きな目に見えない存在に
こう言われているような気持ちになるのでした。
「お前はこの先もずっと一人だよ」
「幸せになれることなんか、ないよ」
恋愛や結婚を正常に行うことが出来る人たちは、そんな助言を他人から受けることはないのでしょう。
彼らから励ましの言葉を受ける毎に、自分は幸せになれない側の生き物なのだということを
またひとつ証明されるように感じたものでした。
「車内」
私とTさんの部署の職員は、午前と午後に一度ずつ、二人一組で車に乗って
外回りをすることになっています。当番の組み合わせによって、私たちは同じ車に
乗ることがしばしばありました。
二人だけの車内で、彼女と色々な話をしました。Tさんの両親は読書を好むらしく、
そのせいもあって、彼女の名前はある小説の主人公に由来しているそうでした。
彼女は「学ぶ」ことが好きで、最近は英会話の勉強を始めたという話も聞きました。
私が自分のことを話す時には、Tさんはとても興味を持って聞いてくれているようでした。
会話を重ねるに連れて、彼女の声は私の気持ちを穏やかにさせるものとなっていきました。
ある時、外回りの出発前に駐車場で待機していると、Tさんが私の運転する車両に
乗り込もうとしてきました。その日は別々の車両に乗ることになっていましたので、
彼女は慌てて扉を閉め、恥ずかしそうに走って去っていったのでした。
何か無意識的なものがはたらいて、Tさんは私の車両に乗るものと勘違いを
したのかもしれないと思い、密かに嬉しく感じました。しかし私は決して彼女を
好きにならないように気を付けてもいるのでした。
「送別」
Tさんが入職してから二年も経っていない頃だったと思います。彼女は語学留学のため
職場を去ることになりました。
退職日の数日前、私は外回りの当番表を確認していました。どうやら私たちは
もう同じ車に乗る日はないようでした。いつの間にかTさんが横に立っていました。
「あなたと一緒の車がよかったな」と寂しそうな表情をしています。私は胸がぐらぐらと
揺れるのを感じました。彼女を好きになりたかった、彼女が結婚する前に出会いたかった、と
自分の間の悪さを強く恨んだのでした。
私にとってTさんは、ちゃんと興味を示してくれる、ずっと話をしていたいと思える
魅力的な「いい人」でした。しかし、いつか夫婦になれるかもしれないような
「本当のいい人」ではありませんでした。
Tさんが退職する日、制服や名札を返しに事務室を訪れた際に「またいつでも
戻ってきてくださいね」と声を掛けました。「ありがとう」と彼女は穏やかに笑って
目を細めていました。
彼女が退勤しようとした時、私は出口のところまで見送りに行きました。
「お疲れさまでした。またどこかで」私たちはさっぱりとした笑顔で手を振って別れたのでした。
i542著
コメント
コメント一覧 (2件)
pr
今回の作品は、筆者が職場で出会ったある女性とのお話です。
当時、筆者が働いていた療養施設に、Tさんという女性が入職してきました。
彼女の入職歓迎会に筆者も呼ばれ、そこで二人は仲良くなります。
筆者は彼女に好意を抱きますが、彼女は既婚者であることを理解し、好きにならないように努めていました。
長い間恋人がいない筆者に周りは励ましの言葉をくれますが、その言葉が帰って筆者を苦しめる結果になっていました。
Tさんが入職して2年も経たない頃、語学留学のためにTさんは退職することになります。
「あなたと一緒の車が良かった」という彼女の言葉に、彼女が結婚する前に出会っていればと、筆者は自分の間の悪さを恨むのでした。
筆者は感傷的になりながらも、さっぱりとした笑顔で彼女に別れを告げました。
彼女を好きになる葛藤と、恋愛の難しさについて描かれています。
既婚者である彼女と適切な距離を保とうと振舞う様子や、彼女を好きになってしまい自身の運命を悲観する様子は、とてもリアルで読者に深い共感を与えます。
さっぱりと別れを迎える結末は、彼女への思いを断ち切り未来へ進もうとする強さが感じられます。
全体的に深みのある素晴らしい作品です。
検収者 kitsuneko22
㊴kitsuneko22-10