午後0時。
東京、新宿、歌舞伎町。

夜はこれからだ、と言わんばかりに騒がしい。
足元が覚束(おぼつか)ない中年男性。
女性二人組に絡む、客引きの男性。
泣きながら電話している金髪でロングヘアの女性。
道の真ん中で怒鳴り散らす派手なスーツの若い男性。
それを怪訝な表情で避けるように通り過ぎる人々。
それらを牙をむき出しにして睨み、見下ろすゴジラ。
見下ろしてないで、いっそ私ごと東京を破壊してくれよ、なんて思う。
さっき、恋人と別れた。
私から切り出した。
別れよう、と。
理由は聞かれなかった。
驚いた様子も見せなかった。
彼はこうなることを薄々分かっていたのかもしれない。
じゃあ、と言って私は歩き出した。
追いかけてきてくれるのを、少しだけ期待していた。
だけど、いつまで経っても、追いかけてくる気配はなかった。
涙は流れなかった。
ただ、心が空っぽになってしまった。
空っぽになった心を何かで埋めたくて、新宿にきた。
お酒でもいい、男でもいい。もうなんでもいい。
少し前から、すれ違いは感じていた。
以前ほど連絡はとらなくなり、本当に好きなんだっけ、と思うことが増えていた。
なんであんなに好きだったんだろう、とも思っていた。
ぼーっと歩いていたら、道の段差につまずいて転んだ。
大人になって転ぶと、痛いとかよりも羞恥心の方が先に表れる。
でも、不思議と恥ずかしさはなかった。
東京のど真ん中で、派手に転んだ者に手を差し伸べてくれる人はいなかった。
それでいい。東京は、それでいい。
悪意ない優しさは、時に人を傷つけてしまうこともあるから。
溜息を一つついて、服についた埃を払い、立ち上がる。
手のひらには血が滲んでいたが、気にならないほど疲れていた。
飲み物を買おうと思い、目の前のコンビニに入った。
炭酸飲料を手に取りレジに向かった。
ふと、レジ奥のタバコの棚が目に止まった。
そして、無意識に探してしまう、元恋人が吸ってた銘柄。
結局、タバコとライターも買った。
普段タバコなんか吸わないのに買ってしまった。
タバコが吸える場所を探し、また夜の街を歩く。
東京の夜は眩暈(めまい)がするほど眩しい。
余計に私の孤独が際立つ。
やっと喫煙所を見つけた。
タバコに火をつけようとするが、上手く行かない。
彼は、いつもどうやってたんだっけ。
何度かの挑戦でやっと火が付いた。
煙が、星のない空に渦巻いて消えていく。

煙は彼の匂いがした。
その匂いが、一気に彼との出会いを思い出させた。
彼とは学生時代、バンドのサークルで出会った。
すらっとしてて、背が高い。
ベースを弾く姿が輝いて見えた。

私の一目惚れだった。
無口だけど、誰よりも音楽に情熱を持っていた。
言葉では語らないけど、音楽で語るって感じ。
それからまもなく、私たちは付き合うことになる。
幾晩も一緒に音楽を聴いて、演奏して、歌を歌って、心を重ねた。
大学を卒業しても、彼は音楽を続けていた。

売れたい、と言って頑張っていた。
最初こそ応援していたが、私はだんだん辛くなってきてしまった。
彼の全く上手くいっていない姿に。
上手くいかない程、彼は意地になって音楽を続けた。
続けた、というよりしがみついていたと思う。
私は、自由に演奏する彼が好きだった。
売れるとかそんなことは考えずに、彼が自由に作った音楽が大好きだった。
大ヒットをとばすアーティストの歌よりも、彼の作る音楽が大好きだった。

でも、今の彼は演奏している時、辛くて苦しそうに見えた。
私は耐えられなかった。
だから、別れた。
好きじゃなくなった、とかそういう理由はではない。
ただ、私が耐えられなかっただけ。
逃げただけ。
性格の不一致。
音楽性の不一致。
カップルが別れる理由なんてこんなものだ。
バンドの解散理由となんら変わりはない。
私たちも例外ではない。

売れたい、という彼の夢が彼を変えてしまった。
もしかしたら、変わってしまったのは私の方かもしれない。
彼を忘れたくて東京の真ん中にきた。
なのに、彼は今ここにいる。
彼の匂いがある。
私の記憶の中にいる。
多分、ずっと消えない。
忘れられない。
今更、涙が溢れてきた。
涙がこぼれないように空を見上げた。
もっとちゃんと真剣に応援すればよかった。
そんな後悔がじわりと胸に広がる。
最後に感謝を伝えればよかった。
彼といた時間は、本当に幸せだった。
今更、これらを伝えるために連絡する勇気はなかった。
でも、伝えなければ彼のことをずっと覚えていられる。
タバコの灰が落ちて我に帰った。
もう泣くのは終わりにしよう。
溜息をついてから、煙を全身に染み渡らせるように、大きくタバコを吸った。
彼のことを、彼との思い出を、伝えられなった感謝の言葉を忘れないように。
いつか、彼の音楽が新宿の街頭で流れるその時まで。

maiko著









コメント
コメント一覧 (1件)
pr