私は幼少期から諺(ことわざ)が好きだった。
『飛んで火にいる夏の虫。』
こどもの頃は、あまり意味も理解せず、音やゴロだけで使っていた。
それが大人になって意味を理解すると「あぁ、なるほど」と。
今となっては、変に納得して苦笑する自分がいる。
深夜の居酒屋

時間は深夜の1時。終電はもう無い。
友人とともに3軒目の居酒屋に入った。
まわりを見渡すと、まだまだ店の中は賑わっている。
目に入ってきたのは、隣の席に座る3人組だった。
50歳代の上司と30代の男性、そして20代半ばの女性。
「上司がうるさくて、すみません」
その女性は入店した頃から、周りの客に気を使う素振りを見せていた。
熱弁を振るう彼に、多くの客は、鬱陶しそうな目で見ていた。
私だけは笑顔で返した。
もちろん何もメリットを考えなかったわけではなかった。
ナンパ

上司がトイレに立った隙に、私は彼女に声をかけた。
「実は、お店に入った時から一目惚れしてしまいまして」
その日、私はとても酔っていたとはいえ、あまりにも唐突すぎる第一声。
なのに彼女は、笑顔で私に応えてくれた。
「ありがとうございます。嬉しいです」
私はその場で、連絡先の交換を申し出た。
しかし魔の悪いことに、そこで上司が戻ってきた。
ここで引き下がったら後悔する。
とっさにそう思った私は、上司を説得することにした。
「初めまして。実は彼女に一目惚れをしました」
「どうか連絡先を交換する時間をいただけないでしょうか」
「男として、このチャンスを逃すわけにはいかないんです!」
彼女の上司は、私をみて笑った。
「どうぞどうぞ。彼女が嫌でなければ」
さっきまで熱く語っていた彼は、ジェントルマンモードで応えた。
「では今から彼女と2人で、次の店へ行ってよろしいでしょうか」
調子に乗った私は、これまた無理な提案をした。
「もし宜しければ私からも是非」
彼女も笑顔で、私の意見に便乗してきた。
そうして、彼女は上司と同僚を置いて、私は友人を置いて店を出た。
帰り道

こんな深夜、お酒もそうとう飲んだだろう。
それでも彼女は、モデルのように姿勢よく歩いていた。
身長は170センチくらいだろうか。
肌は白く透き通っていて、黒い髪は肩まで伸びていた。
彼女はサユリと名乗った。
リフォーム会社の営業を始めて、やっと半年とのことだった。
今日は入社して初めてノルマを達成し、そのお祝いで集まったようだ。
彼女は営業だけあって、とても気が利いていて話しやすかった。
それでいて目には力があって、言葉の端々に気の強さを感じた。
「お淑(しと)やかな見た目と違って、気が強そうだね」
私は笑って彼女に指摘をすると、
「バレましたか」と彼女もまた笑ってこたえた。
「あ、そうだ」
彼女は何かを思い出したように手を叩いた。
「ちょっとコンビニ寄りますね。すぐ戻るので」
そう言った彼女は、ミネラルウォーターを片手に戻ってきた。
そしてグビっと半分を一気飲みすると、残りを私に差し出した。
「酔い醒ましにどうぞ」
意外と積極的なんだなと思いつつ、ペットボトルの水を飲み干した。
「変に酔いが醒めちゃいましたね。ご飯は後日にしません?」
彼女は不意に自分の腕時計を見た。
私も時計に目をやると、深夜2時。丑三つ時だ。
名残惜しい気持ちはものすごく大きかった。
とはいえ、こんな時間だ。ダメと断るのも紳士とは言えない。
いや、そもそもこんな時間に、女性と歩いていることが紳士ではない。
私はタクシー代と言って、1万円札だけを渡して彼女を帰した。
彼女は申し訳なさそうに受け取り
「絶対、今度!近いうちに行きましょうね!」と笑顔で去っていった。
それが彼女と私が交わした、最後の言葉だった。
反省会

翌週、私はまた、友人と飲みに出ていた。
先日、深夜に置いて行った”謝罪代わりの”埋め合わせだ。
「結局、お礼のメールは来たけど、次の予定が合わなくてさ」
私は、笑いながらビールをクビっと飲んだ。
「いや、利用されただけだよ。はぐらかしてるだけさ」
友人は苦笑いで、伝えにくそうにボソっと言った。
なるほど。
確かに一理あるかもしれない。
彼女が周りの客に謝っていた時、
私が笑顔で返事した理由は、もちろん見返りを求めてのことだ。
そして、それに応える形で、彼女は店を出て私に付いてきた。
私はその時「良し!かかった」と正直、思った。
一方で彼女は、上司から逃れるために、周りの客すべてに餌を撒いた。
その餌に食いついたのが、私か。
飛んで火にいる夏の虫。
虫は、私だったのだ。
私は、女神のように美しい女性に気分を良くし、
ご飯に行けないどころか、タクシー代まで出して帰した。
彼女からしたら最高のシナリオだろう。
「触らぬ神に祟りなし」
負け惜しみの諺くらいしか、思い浮かばなかった。
nldkgaerg著









コメント
コメント一覧 (2件)
pr
ny8545さん
3記事目の投稿をして頂きまして有難う御座います。
それでは検収をさせて頂きます。
今回の作品は、深夜の居酒屋でつい気になって声を掛けた女性との出会いです。
よく見かける居酒屋での上司と部下との飲み会風景です。
気の利く部下の若い女性は、上司の良い話し相手なのでしょうか!
上司の男性は、部下の父親位なので気になる部下の女性を付き会わせたのでしょうか!
上司の様子からして、部下の彼女には尊重されていないようでもあります。
そんな状況で彼女を酒の力を借りて口説いたのも彼にしては思い切った事でした。
しかし彼女はそんな彼にその気にさせる同意をしてしまいます。
彼女は早く切り上げて上司から失礼したかったのでしょうか!
彼を上手く利用した様になってしまいます。
男女が居酒屋で出会うことで起こった隅に置けないやり取りです。
流れと文章のリズムが上手く行って面白い内容となっています。
有難う御座います。
今回の検収はこれにて完了と致します。
次回の投稿記事も楽しみにお待ち致します。
井上保夫